ノートルダム大聖堂火事のニュースと映像を見て胸を痛めています。ホントにショックで画像や映像、当初ニュースを見ても「ノートルダムが燃えている」と認識できませんでした。幸い、もっとも尊い命は失われなかったと聞き安堵しています。また4枚目、聖堂の金色の十字架やキリストを抱くマリア像らの彫像は焼け残ったそうです。
初めてのパリは28年前。新婚夫婦ばかりのヨーロッパツアー、月並みなパリ観光。勿論、目指すはエッフェル塔、凱旋門、オペラ座、そしてノートルダム大聖堂。以降、できるだけマレ地区に泊まりたい(なぜかすごく好き)私は、とくにシテ島のノートルダムに徒歩で行ける距離に滞在すると嬉しくてたまりません。毎回くたくたになるほど歩き回りながら、必ず立ち寄る場所でもありました。
データで持っている2011年、2012年、そして2016年の写真たちを眺めると、想い出と共にその面影がより強く浮かび上がってきます。
2011年3月、東日本大震災に見舞われてすぐ13日のこと。パリ大司教、アンドレ・ヴァントロワ枢機卿によって津波と地震の犠牲者のために祈りを捧げるミサが開かれました。その模様「Messe à l’intention des victimes du séisme au Japon」はKtotvによって配信されました。この映像は今も見る事ができます。
それを目にした時、響き渡る澄んだパイプルオルガンと賛美歌、想いを込めた祈りの言葉に、恐怖に覆われた心が洗われました。自然と流れた涙のせいか、少し心が軽くなった気がしたものです。
当時のブログには「いろんなことを書いては消して……。うまくまとまりませんが、自分ができることを考える、動く。いまはそれだけ」と綴っています。そして「次にパリに行った時はノートルダム大聖堂でみなさんの幸福をお祈りさせていただきます」と誓っています。
当時、家やインテリア、旅の本などを精力的に作っていました。震災後も変わらずGW明けのパリロケのために協賛を集め、取材スケジュールを立てました。家はおろか、大切な人を失った方々が大勢いる最悪の事態の中、仕事を全うするためとはいえ、素敵なお家の本を出版し、パリに行くため各企業にスポンサードをお願いする自分が嫌で、何度も心がねじれそうになりました。
結局、自分にできることを貫き、誓い通りにノートルダム大聖堂を訪ね、ミサに参加。やっと人心地ついたのを今もよく覚えています。結局、このパリ行きにより、深くこの土地を知ることができましたし、たくさんのご縁が広がりました。そういう意味では行くべきタイミングと試練だったと思います。
そしてエッフェル塔と凱旋門は昇ったけど、ノートルダムだけは横着していい訳を付けて、後回しにしてきたのが悔やまれます。修復に20年とか30年かかるという報道を見て、今世では無理なんだと思うと過去の自分が悔やまれました。そして昨日のニュースで、あっという間に1,000億円の寄付が集まったこと、大統領も5年以内の復興を宣言していることを知りました。素晴らしいパワーですね。もし、日本の文化遺産がこのように焼失してもこれほどの寄付を日本の企業がすることはないでしょう。改めてボランティアやチャリティー文化の違いを感じました。
当たり前にあるものが一瞬にして消える。それが摂理だとしても悲しく、淋しいものです。しかし、2011年に綴ったように自分にできることをコツコツ続ける、それが変わっていないことを再認識する機会にもなりました。それがノートルダム大聖堂が燃えて、私にもたらしたものです。
我が想い出のノートルダム大聖堂よ、永久に。そして、未来に輝く姿と出逢う日を楽しみに。
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