「“逢いたい人”に逢いにいく」。それがこの秋冬のテーマ。だって私には、その力があるのだもの。
旅の神様はいつも私の近くにいて、すぐに願いを叶えてくれます。でも、他にも守護神がいるのを忙しすぎて忘れてました 春から手掛けた「行きたいところに行く」に徹した夏から初秋が終わり、秋が足早に過ぎて行こうとしています。庭の金木犀が良い香り。あと少ししたら紅葉に囲まれる季節がきます。
年単位、月毎や季節、週、毎日の小さな目標を立てて、クリアしていくことで志や長期的な目標も達成にたどり着くと信じてる。そうして「使命」を果たすのが、私はとっても好きなんです。ひと段落したら次の、またその次……とハードルをどんどん設けていきます。道しるべのない人生は生きる甲斐ないじゃないですか? 生まれてきた意味を実感したいのです。
17日の夕刻、『いきなりステーキ』でお肉を食べながら新企画やキャスティングを考えていました。これね、幸せな気分で物事を考えられて、なかなかいいんですよ(笑)。泉のように企画と勇気が溢れてくる。セロトニン万歳。その時、心に響くように浮かんだのが「“逢いたい人”に逢いにいく」。私の仕事の長所は、普通に暮らしていたら逢えない方々と縁を結べ、その人の言葉を広く伝える役割を担っていることです。
しかも、今だからこそ成熟した“本物”に逢って教えを請いたい。すぐに血肉になる言葉を頂きに行く。そうそう、心のうちではわかっていて、もう行動には表れててて、一番気づいてないのが私でした(苦笑)。そして、義理は大事だけど、無駄な義理を立てやしがらみの絡んだ、「やりたくないことはやらない」、これ大切
想像するだけでワクワクしてきて、定時を過ぎてるのにダメ元で電話をする(笑)。すぐに動くからお訪ね先は以降、どんどん決まっていきました。遠くに行かなくても、心の旅は幾らでもできるのです。
孔子曰く「五十にして天命を知る」とあります。すべての人が50歳を迎えた時に天命を悟っている訳ではありませんが、五十代になってからの自分探しや自分磨きはあまりにも遅すぎます。先が見えないならば自身に鞭打ち、幸せになる方法を即刻考えるべき時なのです。先日のような防ぎようのない災害が起こるのを間近にして「人生100年」などと楽観的に捉えていられません。
「生きよ。今日が最後の日のように」。それは台風19号、ハギビスの去った翌日に見終えたドラマの、最終話に登場した言葉。それをきつく肝に命じるのが五十代だと思います。
だから私は、“貴方”に逢いに行きます。
<注釈>
「五十にして天命を知る」 孔子が晩年、己の人生を振り返って『論語 為政』に記した中から
「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」
※訳 私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人の言葉に素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても、人の道から外れるようなことはなくなった
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