【以下、撮影・執筆は2016年4月1日のものです】
逢いたくて。
逢いたくて。
逢いたくて。
遠いあの頃のキミに逢いたくて。
キミと出逢ってキミが逝(さ)った春になりました。
暁の刻、まだ寒い春風が頬を撫でていきます。
それは初めてあった宵、キミの前髪を揺らした風と似てやさしく
1片の花びらを乗せて去っていきました。
そして21年回目の卯月を迎えても
ずっとキミは25歳のままで
あの日欠けた私の心の破片はまだ見つかりません。
日本中が桜色に染まる季節が始まりました。関東の開花は、下弦の月周辺にあたるので宵闇となります。そこで真夜中過ぎに昇る月を追いかけ、暁の頃の淡墨桜を訪ねました。日の出前までは黄色く輝いていた下弦の月はやがて銀色、白と色を変えて、ゆっくり朝に吸い取られて消えていきました。
朝の訪れと共に花弁は息を吹き返し今日を生きていきます。
栃木県下野市・国分尼寺跡に咲く淡墨桜は日本三大桜のひとつと言われる根尾谷淡墨桜の子孫樹となります。この桜は蕾は薄いピンク、満開に白色、散りぎわには特異の淡い墨色になる ので淡墨桜という名前がつきました。
この桜を撮るうちにふと思い出したが4月21日にこの世を去った人のことでした。「またね」、最後にそう交わした言葉は叶わず、次に逢った時の彼の頬はなお一層白く、春だというのに心と指先が震えるほど冷たかったのを忘れたことはありません。
■そして2018年4月21日。キミが亡くなって23年目の春が訪れました。月日というのは時に残酷であり、時にゆっくりと効く薬のようでもあります。思い出して哀しみ、悔やみ嘆くことは年月と共に薄らいでいきます。20代だった私が50代になってみると悲劇もまたどこか懐かしく、美しい想い出へと変化し心の奥で輝いています。
この淡墨桜を撮った朝方、一緒にいてくれた愛犬のグーも今年の桜を見ずに旅立ちました。新しい心の傷が増え、別れもこれからきっと増えてくる。それが生きるということなんだととらえるようになりました。
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