少しだけ時間が過ぎ、お話ししておきたいこと

先日、久しぶりの友人から連絡がきました。

「よかった……。声が聴けて」

泣き声でした。

彼女は、私が炎上により亡くなったという話しを見て悩んだ末にコールしてくれたそうです……。返す言葉がみつかりませんでした。

そして、この電話が、こうしてPostを再開するきっかけとなったのです。

いま私は、家族や身内、友人、そして、これまでお仕事をご一緒させていただいた方々からの温かい言葉と思いやりに生かされています。その陰で、どう声をかけていいものか思案し、ただただ見守ってくださっている方もおいでと承知しています。お騒がせして申し訳ございませんでした。

あの日の悲しく胸の潰れる訃報から1ヶ月が過ぎ、寒いながらも春を迎えています。

その前後、SNSに広がった私のコメントの波紋。そこから枝分かれしていく意見や憶測。WEBで入手できるわずかな経歴を切り刻んだ中傷、InstagramのDM他に届いたご忠告や罵詈雑言。そしてニュースや、そのコメントから受けた衝撃と痛みは、想像を絶するものでした。すべて読んだわけではなく、ごく一部を目にしただけですが、概ね把握することができました。

すべてを目にしてしまったら心は完全に壊れてしまったと思います。大げさと思うかもしれませんが、おそらく99.9%存じ上げない方々からの言葉の矢は、生命を奪うのに十分な力を持ちます。これは経験した人にしか実感できない、死の臭いのする波だと言い切れます。その間「Yahoo!ニュース」に自分の訃報が載るイメージが何度も頭を過りました。

当時は、ただただ混乱し対応策も浮かばず、動悸と眩暈、睡眠障害というパニック症状が戻ってきました。ランダムに開いたDMには、「なぜコメントしないのか?」とか、悩みに悩んだ末にコメントすると「どうしてコメントしたんだ」という内容のものが届きます。なかには、芦原妃名子先生の名前を騙って最後のSNSの投稿文を送ってくる方もいました。それが正義なのでしょうか。

周辺からは心配の声と共に「泉美さんは、時間稼ぎのスケープゴートにされている」と言ってくる方もおいででした。さらに「Xの収益化に目当て炎上に参加する人がいる」という内容の記事を見て、なお更つらく、押しつぶされそうになりました。

12月末、相沢友子先生のInstagramに投稿した私のコメントにより、不快な想いをさせてしまったことは大いに反省しております。日頃、滅多にコメントをすることもないので、よりにもよってと正直、戸惑いました。「詫びろ」といわれても、事実も把握できない状況で、関係者でもない私は、気が動転するばかり。

そして、「言葉」の難しさに苦しみました。私の意図が数行で伝わるはずがないのは承知のことです。しかし、私の知らない「私について」見知らぬ方々が語る事実は恐ろしいばかりで。私への制裁だとしても、言ってはいけない言葉が多々届きます。

日々の出来事や旅、仕事のことを細々と綴ってきたInstagramのフォロワーが増える度に、次なる悲劇を待ち望む人々のように思えます。投稿に「いいね」をされる度に「死ね」「死ね」と言われているかのように感じるのです。「ああ、炎上で命を落とした人は、こうして決断していくのだ」と肌身を持って感じました。

私になにを望んでいるのだろうか?と考え続けました。詫びてSNSを閉めることなのか、仕事の廃業を望むのだろうか。それとも、より炎上を盛り上げるために私が命を差し出すことを望んでいるのだろうかと想像してみました。そんな考えは、私の大切な人たちばかりでなく、芦原先生や相沢先生にご迷惑がかかります。また、次の加害者が生まれます。いつものように、急に新たな悲劇の幕が開き、「誰が責めたのか!?」と新たな犯人探しが始まるかもしれません。負の連鎖が起こりながら、肝心の騒動の解決はますます先になるでしょう。だからこそ、私は生きていなければいけないのです。

そこで、1月30日のInstagramの投稿を期にSNSやニュースから遠ざかることにしました。

DM他、私が目に入れるべきでないものは、代理人に任せることにしました。驚いたことに月を跨いで2月になった途端、そうしたDMはピタリと止み、次の炎が上がったと聞かされました。

当時、返答をする余裕などなかったのですが、少しだけ時間が過ぎて、自分の言葉で残しておきたいと考えるようになりました。それがまた保身であるとか、いい訳とかおっしゃる方もいるかもしれませんが、私は私の言葉で、あらましをここに残すことにします。

ここまでも充分に長いのですが、以降は、ご関心のある方のみお読みいただければ幸いです。

①相沢先生の投稿に関するコメントと「尊厳」について
ドラマの展開が変わったことを感じていたのは私だけではないと思います。投稿を拝読してまず、腑に落ちました。

書き込んだ第一の理由は、脚本家である相沢先生が、自ら執筆のあらましを書かずにはいられない事実があったと解釈したからです。同時に9,10話を芦原先生が執筆されたというご事情にも察しました。両先生とも、大手のテレビ局や出版社でお仕事をされておいでですがフリーランスでご活躍されています。その方々が矢面に立つ発言をすることのリスクは、私も30年間フリーランスで活動をしてきた身であることから驚かずにはいられませんでした。

とはいえ殊に次第が知れないこと。一方的に肩を持ったつもりはありませんが、相沢先生のSNSで芦原先生を引き合いに出す意見を書けるはずがありません。そもそも業界は違えども同じように私も、作り・表現していく仕事にあることから、おふたりのお立場や尊厳を秤にかけるなどできません。

フリーランスという立場の「共感」だけではありません。同時に私は、書き手の他、編集者や出版プロデューサーとして活動しつつ、著者でもあることにより、様々なケースを予想することができました。事実、編集者として著者を守り切れなかったことを悔やむ過去の経験もありますし、自分が著者となったときに、いかに孤独であるかを実感した経験もあります。

また、芸能事務所やテレビの制作会社の依頼で過去に数作、テレビ局に応募する脚本のプロット作りをした経験やラジオ局の脚本執筆の仕事をしていた経歴があり、その世界に知見がありました。私はその上で、声を上げた相沢先生に「なにかが確実に起きている」という気配を感じました。そう表明せずにはいられなかった実情や、作品のファンから寄せられた声や問い合わせがあったから投稿されたのだととも感じたのです。

現代においても、フリーランスの立場で仕事をすること、ましてや女性が仕事をしていくことは、容易ではありません。私もこれまで、理不尽を掻い潜って活動をしてきました。未払い、企画の頓挫、パワハラ、セクハラ……。著作権及び著作権人格権を軽んじられることは残念ですが少なくありません。私の力が足りないばかりに「著者ぶるな!」とスタッフにののしられ、涙したこともあります。「あんたの著作権なんてどうでもいい!」と声高に言い放った人もいれば、昨年でしたが写真の無断掲載を抗議をした結果、居直られたこともあります。そうした積み重ねに悩み、ついに心の病を生じてしまった私にとって、つい書かずにはいられないコメントだったのです。

もちろん、それがすべてではありません。素晴らしい仕事の場を提供してくださる媒体や関係者はもっともっと多く、だからこそやりがいを持って仕事を続けてこられました。

とはいえ結果、私の発言が不適切となったことは、両先生やファンの方に申し訳ないと日々お詫びを繰り返しております。

②私のInstagramに寄せられたコメントの回答について
先に述べた通り、混乱した状況で返信をするべきでないと後から後悔しました。

脱字があったことから、相沢先生には尊厳があって、芦原先生に尊厳がないような発言を切り抜かれ、拡散されたことは私の落ち度です。ですが、突然、見知らぬ方が、家に入ってきて炎上を告げられる。矢継ぎ早に言葉が放たれるという状況が起こった場合、いったいどうすればよいのでしょう。発言を取り消せば「消した!」とお叱りを受けるだろうとも思ったので一晩おき、朝にすべてのコメントを削除しました。

その後、なにがあろうと、どう言われようと返信をしてはいけないのだと学びました。また、この命と心は、自分がしっかりと守るのだと気づく機会となりました。

③その後の私のInstagramの投稿について
近況報告とひとり語り、記録として使ってきたのがInstagramです。そうした騒動の始まりのなか、心配して見守っていてくれる人も多いことから、自分のペースを崩さないようにありたいと思いました。

炎上とほぼ同時に、仕事において長らく悩んでいたことに関して、それまで張り詰めていた糸が切れるような出来事がありました。やっと回復にこぎつけていた私のメンタルが壊れないように心がけていたことから、揺らがないように反芻しないように自分に言い聞かせ、本や音楽に例えたことも誤解に繋がりました。また、それについて話した「友人」が、お逢いしたこともない相沢先生だと事実と異なる解釈をされたことも知りました。

その投稿は1月28日の夜に書き、いつものように翌朝の7時に配信されたものですが、まるで芦原先生の死後に投稿したかのように表現されたことも大変ショックでした。

④1月30日の私の投稿に関して
コメントするに至り『セクシー田中さん』という作品が私にとって、どういう存在であるか、それをご説明するにあたり鬱を患ったことも書きました。この病については、仕事に影響も出ることから当初から周囲に公言し8月上旬にInstagramに記しております。抱えていた仕事の都合で実際に静養に専念できたのは、実際に12月からでしたが、その頃には、病気も自分の一部と受け止め、作品に励まされた経緯として書きました。それを「だから攻撃するな」という解釈され、さらに手厳しい発言が繰り広げられたYahoo!ニュースのコメント欄を見た時は居たたまれませんでした。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

炎上は、姿なき方々から寄せられる言葉という矢によって、当事者や身内は、袋小路に陥ります。
立場や事情はそれぞれながら冷静でいられる人は、皆無ではないでしょうか。そういう意味で「死に至らしめる行為」なのだとわかっていただきたいと思うのです。

いま私が、立っていられるのは、直にお付き合いのある方々から届いた真心のおかげです。なにが大切か、どう踏み出すべきかを考える勇気もいただきました。そして、これまで務めてきた媒体の読者の皆様から、執筆の度に届けていただいたお礼の言葉や、励まし、感動の声の数々も私の宝物であり、背中を押してくれています。ありがとうございます。

芦原先生のご冥福はもとより、本件をきっかけに多くのクリエイターでありフリーランスの働きやすい未来のきっかけになることを心より願っております。

尚、当面Instagramのコメント欄を私がフォローしている方以外に解放する予定はありません。また、見知らぬ方からのDMやブログのコメントに関しましても引き続き代理人が対応させていただいます。

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