ペットも愛する家族。その分、別れの時は悲しくツラく、何度体験しても慣れることはありません。私も家族も、急にグーがいなくなったことにまだ慣れず、いつものように声を掛け、まだ生活のサイクルの中から切り取ることが出来ずにいます。
センチメンタル・ジャーニーから戻った翌日の7日、薄茶色の犬が庭先を歩いていくのが見えました。「えっ、菊」
追いかけて呼び止めると昨年7月に亡くなった外犬の菊ちゃんにそっくりなワンコが私を見て、尻尾を振って笑っています。菊は私にワンコの仕事をするキッカケを与えてくれた犬。アイキャッチは仔犬時代。拾った訳でなく、ある日気づいたら庭にいたんです(笑)。
最初は悲しみのあまり、幻を見ちゃったのかと思ったのですが実在していました(笑)。
確かに菊やグーが亡くなったあと、不思議なことは続いています。感触とか、気配とか、音など。でも、そうした出来事はペットロスによって起きる現象だそうですが、いずれにせよ互いの絆が深ければ深いほど起こる、感じることだと思います。でも、これはちょっと違う、犬の引き寄せ?
上の写真は菊、下はそのワンコ。
毛色、骨格、明るい茶色い目、ピンクの鼻。菊は女の子、このコは男のコなのを除けば、とても良く似ているので同じお母さん、通称・桃ちゃんの血筋でしょう。耳が下がったコなのかと思ったら愛想を振りまきつつも警戒しているようで、やがてピンと立ちました(笑)。菊と比べ、やや顔だちがおっとりしていて要所要所”ちょっと残念”、でも愛嬌があります。
最初から「あれ? 初対面ですよね?」とつい確認してみたのですが、なんの躊躇いもなく近寄ってきて尻尾を振ります。それから毎朝訪ねてくるようになりました。今日で3日目。昨日は窓を開けると当然のように部屋に入ってこようとし閉めるとグーのように鼻を鳴らします。日中は菊がそうしていたように玄関で日向ぼっこをしたり、お座りしています。
菊の死から約半年後、1月28日にグーが亡くなりました。実は6日の夜、家に帰った私は眠る前にふたりの可愛い写真を見ながら「グーや菊がいないと淋しい。姿がないと悲しい、触れたい。でも温かかった身体はもうない……」とつくづく感じて泣いたんです。まるでその声が彼らに伝わったような不思議な出来事が起こりました。
気ままに庭を歩いている姿、私や家族のあとを着いてくる姿はまるで時間を巻き戻したようです。
もし、これが似ていない子だったら、気にもかけないでしょう。事実、たまに敷地内に入ってくるワンコ(しかも感じが悪いコたち)は数匹いますし、普段のように追い払ってしまったに違いありません。「似ている」といるからこそメッセージ性を感じてしまいます。
とはいえ、「どうしてこのコは放し飼い?」という問題が……。首輪はしていませんが跡があり、夕方どこかに帰っていきます。痩せていてお腹が空いているようで不憫ですが、食べ物を与える事で居ついてしまうので考え物です。可愛いし、癒されるのですが、こうした無責任な飼い主の行動は腹立たしく許されるものではありません。
我が家はずっと犬を飼っているものの、お金を出してワンコを買うということがほとんどありませんでした。例外は弟が求めて来たグーとずっと昔に買っていた柴犬だけ。あとは居ついてしまったり何らかの事情で貰ってきたり。
どうも、この辺りには「頼って行けばご飯をくれて可愛がってくれる、引きとってくれる」という情報がワンコネットワークが流れている気が もしや「あの家、菊ちゃんに続いてグーちゃん亡くなっちゃったらしいよ。空きがあるみたいだからいってみたら?」というインフォメーションが あれこれ想像して、ついつい苦笑してしまう毎日です。
明日も来るのかな?
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