旅の神様に愛され、こんなご時世でも旅をし、多くのご縁に恵まれました。そう、私にとってコロナ禍は、幸いでもありました。というか、私は、すんごく頑張った! この時代をどう乗り切るか、人のお役に立てるか、自分なりに目標を立ててひたすら走ったつもりです。まー、結局、いつもの如く頑張り過ぎましたが(苦笑)。
昔から「鉄砲玉」と言われてきましたが、ますます出たら出たっきりに(笑)。旅をやめずに過ごせた一方で、家に戻ると執筆や手配他、仕事で籠ったきりになります。0と1しかない性格は直せません。とはいえ、孤独を愛する淋しがり屋。ひとりになりたい。けれど籠れば籠るで自分の心と向き合いすぎて息ができなくなる欠点があります。昨年、いわゆるHSS型HSPの気質だと教えていただくまでは、自分を責めるばかりでした。このお話しは、また後日。
そこで今、私がトライしているのは、日常を少しだけ変えるチャレンジ。以前は、「自分を幸せにするのは自分」とか「自分を楽しませる」とかいう言葉を使っていたのですが、どこかに違和感があったんですね。うまく言えないんですが、やっぱりそれって己に鼓舞し続けているというか。強いているというか。シンプルに「幸せ」、「楽しい」へと、どうしてチャンネルを変えられないのだろうと疑問でした。
そこで私は、なにに幸せを感じるか、楽しめるか、今さらながら実験中です(笑)。そして、ルーティンを新たに設けています。
まずは、午前中、または夕方、近所の公園に行くこと。
実は昨年5月に引っ越しました。新居となったマンションは快適ですが、一長一短で幾つか悩みがあります。そのひとつが窓からの景観が悪いこと。隣の家の壁と窓が間近にあり、ベランダからは狭い空しか見えません。そして、東京に久しぶりに住んでみて、これほどすぐに、私の中の自然が枯渇するとは思っていませんでした。
そして、家から数分の場所に広い公園があるって素敵、と言いつつ、引っ越して1年で2回しか行ってないという相変わらずの体たらく……。また、愛犬を見送り、散歩の必要がなくなったこともあり、公園で過ごすこと自体に必要性がなくなったんですね。目的がないから行けない、これって目的意識の強い人間こそ陥りやすいように思います。
重い腰があげられないままだったのですが、ふと思い出しました。公園の向こうにカフェができたことを。しかも、結構な人気店(笑)。
それが、FUGLEN HANEGI KŌEN(フグレン 羽根木公園)。
ノルウェーのオスロで生まれたエスプレッソとカクテルの店です。コロナ前、2018年に浅草に日本2号店ができた際に立ち寄ったことがあります。
それで、暮らしに取り入れたルーティン、その1。公園を歩いて、陽の光を浴び、緑の中で息を吸いつつ、カフェに行く。
そこで本を読んだり執筆をする。あら、素敵。
本当は好きだったはずの散歩も、読書も、書くことも、自分のために写真を撮ることも、その中に詰まっています。もちろん、誰かと、たわいのない会話することも。
早速実行に移してみると公園を歩くだけで気分がよく、そして、楽しかった。
心模様に発見もありました。
人は、心の余裕を失うと、心の在処さえ見失ってしまうものです。なによりコロナ禍は人の心を閉じ込めるばかりでなく、迷子にさせる悲しい感染症です。そして、マスクは、表情と心を覆い隠してしまいます。マスクを外して公園を歩いていると息苦しさが和らぎ、季節の匂いを直に感じられました。
さて、FUGLENとはノルウェー語。ロゴマークにあるように鳥という意味だそうです。その鳥は、オスロ港に飛び交う、世界最長距離を飛ぶアジサシという渡り鳥。アジサシのように世界の港町に立ち寄り、その土地の良いエネルギーを吸収して、さらに次の土地へと旅をする、渡り鳥のように生きて行きたいという思いが込められています。
ホントにね、今回、その意味を知って、これも私が知るべき、必要な言葉だったなと実感しています。
渡り鳥も羽を休める夜がある。人も、心の羽を休めて当然。だからこそ、また羽ばたける。
今日は満月ですね。
月の力を借りて、あとひと息で自分で作ってしまった殻から抜け出せそうな気がしています。
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