恩師の死

今朝、届いたのは、恩師の死を告げる便りでした。

塚田圭一先生、享年82歳。フジテレビ常務を経て、共同テレビジョンの社長、会長と勤め上げ、ご勇退。以降は、立ち上げ当初からかかわって来られた歌舞伎のイヤホンガイドのキャスター、そして歌舞伎研究家としてご活躍でした。

盟友、森光子さん、中村勘三郎丈を悲しく見送られつつも、みなさまの生前と変わらず、番組を作り続けておいででした。先生が作られた、森さんや中村屋さんのフジテレビのドキュメント番組をご覧になった方も多いことと思います。また穏やかで思慮深く、歌舞伎の楽しさを伝える名キャスターぶりを耳にされた方も多数おいでのことでしょう。また平成中村座海外公演の実行委員長も務められ、まだまだこれから、いっそうご活躍と思っておりましたのに、とても残念でなりません。


先生からお手紙が届くのも楽しみにひとつでした

年始には直筆のメッセージこそなかったものの、いつものように年賀状を頂いており、今日までお元気と信じて疑わずにおりました。ですが12月31日のご逝去……。これまで報道もなく、突然のことでに戸惑い、嘆き、涙が止まりません。

塚田先生は、いうならば私の”歌舞伎の師匠”。24年前に離婚し、心のままに出版界に飛び込んだ私は、筋金入りのフリーランス、たたき上げ。学ぶ伝手を持ちませんでした。その駆け出しの私が選んだ道は子どものころから好きだった歌舞伎や狂言のスポークスマン。いまでは、かつての私の経歴をご存じない方の方も多いですが、狂言の和泉流二十世宗家和泉元彌さんの取材、書籍制作に始まり、尾上菊之助丈の取材、中村獅童さんのファースト写真集の制作、花形・名優のインタビューなど90年代後半から2000年中頃まで伝統芸能を広く伝えることが使命、ライフワークとして情熱を燃やし、追いかけておりました。

塚田先生といえば6歳から歌舞伎好き。芝居小屋に通いつめ、早稲田大学文学部演劇学科の卒論のテーマ『小芝居』の取材の為に通ったかたばみ座にご卒業後在籍。 その後、菊五郎劇団を経てフジテレビ開局時(1958年)に入社したご経歴。 主にドラマの演出を手掛け、名作を生み出してこられました。

出逢いは17年程前になるでしょうか。当時、歌舞伎の取材がしたいと願っていた私に産経新聞社の方がご紹介してくださいました。当時の私は片っ端から舞台を観て、書物を読むだけが精一杯。意欲こそ有り余るほどありましたが、一方で長年歌舞伎を観続け、体感してこられた方には足元にも及ばないと痛感しておりました。そこに現れた先生は、まさに「歌舞伎の神様」。最初にお目にかかった別れ際、「これからは気兼ねなく訪ねていらっしゃい」と気さくにお声をかけてくださいました。

以降、当時、九段下にあった共同テレビジョンの社長室、やがて浜離宮を見渡せる会長室に毎月のように押しかけては、歴史や名作について、名優たちの芸や楽屋話し、さらにテレビ制作の裏側まで、さまざまなお話を聞かせて頂きました。

取材をしたいと願いつつも進めずにいた時、背中を押してくださったのも塚田先生でした。「あなたはもう十分に舞台を観たし、熱意もある。取材にキャリアなんて関係ないですよ。思い切っていきなさい、歌舞伎役者はあれで結構、フレンドリーだし、あとは、あっち(役者)が受け止めてくれるから」と勇気を授けられ、私は夢を現実にすることができたのです。


初めて挑んだ尾上菊之助丈のインタビュー(シネマスク/ソニーマガジンズ)

さらに、私が主宰していた尾上菊之助丈のファンサイト『月読』(2001年~2016年)では、イヤホンガイドの「耳できく歌舞伎」をもじって、「ツカちゃんのインターネットで聴く歌舞伎」と名づけた連載もして頂きました。


ツカちゃんのインターネットで聴く歌舞伎の原稿

またある時、未熟なために仕事で躓き、八方ふさがりになったのを励ましてくださったのも先生でした。相談にあがり、ポロポロと涙を流して嘆く私に「泉美さんは間違ってはいないけど、常に、そんな風に竹のように真っ直ぐでいると、いつか折れてしまう。時に柳に風でいるのも大事だよ」と諭してくださいました。一部の方はよくご存じかと思いますが、私は負けん気が強く勝気で、曲がったことに屈するのは大嫌い。だからこそ、若い頃は尚更、心が折れやすく、立ち直るのに時間のかかるダメージを受けることもありました。先生は私の気性を承知した上で、時に逆風、強風に逆らわず、しなやかな柳のように生きるよう教えてくださったのです。それがいま、出来ているとは断言できないのですが(苦笑)。

また「仕事バカであれ」と激励してくださったのも先生でした。自分の好きなことならバカになれる。たとえ人に笑われ、損をし、指を指されても構わない。やり続ければ真実になる。そのうちバカの仲間が増えて支えあい、志を成し遂げられるのだと。歌舞伎の師匠であると同時に、人生の師、生涯唯一の師匠でした。

そして、手紙を書くのは好きなものの、字が下手なのを気にして、ついついパソコンで出力した手紙に手書きの署名だけして送る私を諫めてくださいました。「泉美さんね、手書きに勝るものはないんですよ。どんなに字が下手でも受け取った方は、自分を思って書いてくれたんだと、ああ、嬉しいなと感じてくれる。人を想う気持ちが、ちゃんと伝わるのが、手書きの文字なんですから」と。以来、私は直筆で手紙をしたためてお送りするようになりました。


(左)念願の歌舞伎特集を企画・執筆。アナ・スイをゲストに迎えて(SPUR/集英社)(右)歌舞伎役者取材ふたりめのチャレンジとなった三代目市川猿之助丈。東京カレンダーと企業広報誌の2回インタビューをさせていただきました

なにより、仕事においても、ここぞという時には力強いバックアップをしてくださった方。ずっとその背を目指し、いつか先生のように誰かの励みと力になりたいと思い続けてきました。

しかし、一昨年の川島なお美さんに続き、ご恩ある方に、なんらお返しもできないまま、こうして見送る悲しさとふがいなさが複雑に入り混じり、ただ茫然とするばかりです。とはいえ、偉大なる師を持った幸せを胸に、心願成就のため、邁進することを改めて誓っています。



お仕事での共演は残念ながら、たった一度。歌舞伎座建替えに向けた『婦人画報』での歌舞伎特集にて

すでにご葬儀も終え、先生にお別れを言うことも叶いませんでしたが、香を焚き花を手向けて手を合わせ、感謝と共にご冥福を祈っております。

先生、ありがとうございました。もうすでに森さん、勘三郎丈、小山三丈ら皆々様と再会され、芝居談義に花を咲かせておいでのことと思います。どうぞ、来世でも私の師として導いていただけますようお願い致します。

不肖の弟子 泉美 咲月より

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