有様(アリヤウ)。
目に映るものに載る、目に見えないもの。写真は撮る者の姿をありありと写す鏡。写真を見て感じてくださる「想い」が私そのものです。
今年も、つがの里に出かけてきました。これは大賀蓮という品種。今から約2000年前、1951年に縄文時代の遺跡を発掘調査した折、見つかった種から発芽した古代蓮。毎年、美しく大振りの花を咲かせます。
同じ場所でも、その時々で花のコンディションも私の心模様も違います。まだ盛りだというのに、今年は弱弱しく、葉も雹に打たれ、随分と痛んでいました。
でも、この目に飛び込んでくるのは満開の花弁ではなく、ハラハラと散りゆく蓮。葉の上に横たわる花びら。そして命である花芯。でも、すべてが美しい。
これが今の私の心の有様。レンズ越しに向き合って、初めてでる答えがまた楽しみでもあります。
さて帰国した朝、小林麻央さんの訃報を知りました。あまりに残念で悲しかったので、このことに深く触れずに過ごしていました。私は2000年代、歌舞伎に深く仕事で関わらせて頂いておりました。市川海老蔵さんといえば大変ヤンチャで、心のままの方。記者会見、お稽古場、歌舞伎座や演舞場の楽屋で威圧感を放つ方でした。
それが麻央さんと交際しご結婚の運びとなったある時、歌舞伎座ですれ違うことがありました。いつものように(無駄だと思いつつ)「お疲れ様でした」と声をおかけすると、なんとニッコリ微笑まれて「お疲れ様でした」と低く麗しいお声で返してくださったのです←ささいなことですが当時は奇蹟(笑)。成田屋に舞台で睨まれると一年間風邪を引かないと言い伝えられますが、海老さまに微笑まれたので「恋愛運があがるに違いない!」と興奮したのを覚えてます。
海老蔵さんを支え、変えた麻央さん。清らかに咲き、市川団十郎家の命を繋ぎ、旅立っていったその有様もまた美しく切ない。
彼女が綴った言葉もまた光のようでした。
人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。
だから、
与えられた時間を、病気の色だけに
支配されることは、やめました。
なりたい自分になる。
人生をより色どり豊かなものにするために。
だって、人生は一度きりだから
人を愛し抜き、人を繋ぎ、色どり豊かな人生を送られた麻央さん。結末は、とても切ないものですが、一方で生き抜いた幸福感を感じさせてくれます。
そのご闘病をブログで見守っていると、立場も環境も性格もすべて違いますが病と闘い、ご主人を愛し抜き、育て、この世を去られた恩人、川島なお美さんと重なり、最後まで「奇蹟を起こして欲しい、1日でも長く未来を生きて欲しい」と祈るばかりでした。
まだまだ極められず、悟れずにいる私は「今、死んでも悔いはない」などと嘘でも言えませんし、麻央さんの境地までとても届きません。ですがこうして生き抜く方々に「今をどう生きるか」を教えられ、日々を刻んでいます。人は生まれ、死ぬのではなく、生き抜くのだと。
心よりご冥福をお祈りし、今日のこの蓮を小林麻央さんに捧げます。
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