グーと過ごした春夏秋冬。14年3ケ月。
花々がこれほど美しく感じられるのは彼と一緒だったからだと、昨夜写真を眺めながらつくづく感じ、感謝しました。
私を見つめる黒い目が大好きでした。その瞳の中にカメラを構える私が映っています。
愛犬、グーが1月28日に旅立ちました。
ツンデレな佇まいから皆様から「グー様」(おりしも当時は冬ソナブーム)と呼んで可愛がっていただきました。ありがとうございました。
昨年、外ワンコの菊が15歳の夏に逝き、その悲しみも癒せないままだというのに、こうして新たな別れがやってくるなんて……。
僧帽弁閉鎖不全症と診断されてから1年2ケ月。昨年5月、ドクターから「今日明日が峠」と宣告されて以降、何度も「これで最後かもしれない」という危機に面しても、その度に立ち上がってくるグーの強さに驚かされました。小さく華奢な身体の中に宿っているのは強靭な魂、根性。
「今」しかない動物の本能には「諦める」という意志はないそうです。とはいえ、その負けん気は頭が下がるほど立派で最後の最後まで頑張りました。
発作が起きた時、ほとんど意識があり、症状を当然理解できないグーは誰かに押さえつけられていると勘違いするようで「ギャン! ギャン!」と大声で必ず泣きます。それはまるで「生」への執着のようにも見え、病気を吹き飛ばす気合いでもありました。
国内外と出張が多く家を留守にすることも多く、周囲にもおおざっぱにしか伝えない冒険家の私(笑)。スケジュールを誰より知っているのもグーでした。彼が病気をしてからは、その度に乗る飛行機や電車の時間、行く場所、泊まる場所、何時に日本に家に着くかなど細々と話して聞かせ「おねえちゃんがお家に帰るまで待っててね」と伝えてきました。
たとえ犬でも言葉を理解し、テレパシーで感じあえますし、必ず生きて待っていてくれると信じていたからです。
昨年7月の香港、8月のフィリピンの時は、家族も私が帰国するまで持たないんじゃないかと諦めたほど頻繁に発作を起こしたものですが、それでも帰ると元気を取り戻してくれました。
私は出張に出てしまうとワンコや家族、恋人でさえ忘れてしまうほど、心も一緒に飛んでいってしまうのでホームシックや「逢いたい」という感情を持ちません。そんな薄情な私を待っていてくれる、熱望してくれているのは、世界中でグーだけだったでしょう。
14年間という月日は恋愛はしても再婚は望まない変わり者の私にはより濃密。よく「愛している男はグーだけ!」と言って抱きしめてました(笑)。
食事療法や治療方法に加え、優先したのは、どう過ごすのがグーにとって一番幸せかということ。だからこそ、彼の生きるという情熱と、一日でも楽しく過ごさせたいという家族の気持ちが寄り添って得られた月日だったように思えます。
日に3度も4度も倒れた蒸し暑い8月の帰国後、手作りご飯に変え、塩分を極端にカットにしてから、目を見張るほど元気になりました。以前程ではないですが止めても跳ね、走ろうとし、明るく伸び伸び、笑顔で過ごしてくれるので病気が直ってしまったのではと錯覚するくらい健やかな日々が続きました。
「グーちゃん、病気治っちゃった?」そう何度も尋ね、それを真実に変えたいとさえ思いました。
しかし10月の中旬、当時、幾つかの悩みを抱えていた私の胸の痛みにまるで合わせるかのように体調をこじらせ、そこから体力が落ち痩せ、食が細り、まるで枝葉を落とすように旅立つ準備をしはじめました。
以心伝心、仕事や人間関係に悩む時、忙しくて心を亡くしそうになる時、グーはまるで鏡のようにこの心を映してしまいます。恋愛している時、プチ分離不安もあってか私の心が外にあると情緒不安定になるのでグーにだけは隠せません(苦笑)。身体の痛みも伝わるようで長きに渡り、私の守り神でした。
年末、新しい年が越せないかもしれないと危惧し、新年が訪れても、この1月を終えるのは無理かもしれないと、その度に内心絶望していても、グーは決してあきらめず生きることに専念してくれました。
そうして迎えた本年、最初の海外取材の帰国の二日前から弱り始め、1月20日に帰国するとその翌日の夜から一気に厳しい状況を迎えました。ここ1週間はカウントダウンという言葉が相応しい時間を刻み、お互いにツラい毎日でした。
旅立つ時はこの腕の中で、そして淋しくも、痛くも、怖くもないように逝って欲しい。それだけを願ってきましたが私のその想いを十二分に察して叶えてくれました。
1月22日、雪の降りだしたひどく寒い日、これまでとは比べものにならない激しい発作を起こし、いよいよなのだと覚悟をする時がやってきました。そこから5日と半日、小枝のように細くなった後ろ足と腰が立たなくても自力で水を飲もうと這いだしたり、私のいる場所へとよろよろと、時に転びながらも歩んできてくれます。部屋を出てお風呂やトイレに行く時は「グー、すぐに戻るから待っててね」と声をかけると目で見送ってくれます。
そして昨日、いよいよその時が近づく気配が。家族を呼んでお別れしたあと、ふたりだけになると虫の息ながら何度も頭をあげ「抱っこして」とねだります。いつものように腕枕をしてあげると、また頭を上げるので「お水を飲む?」と差し出すと数口飲んでくれました。そうして羽のように軽くなった身体を抱いているとまもなく痙攣が始まり、やがて最後の発作が訪れました。
それは虹の橋を駆け上がるせいか少し早い鼓動でしたが、幸いそれほど強くはありませんでした。「怖くないよ、淋しくないよ、ほら、慎吾ちゃん(グーを3年間一緒に育ててくれた愛猫)も菊ちゃんも迎えにきてくれてるよ。おねえちゃんは大丈夫だから、もう一緒に行きなさい」、そう声を掛けると私の顔を見ながら、しなやかに仰け反って空へと跳ね上がり、去っていきました。
闘病生活でやつれて汚れた身体を洗い、グルーミングをしてあげると以前のフワフワのイケメンに戻りました。春の花で囲んだ安らかな笑顔。ベッドに横たわった姿はかつて一緒に出掛けた花畑を軽やかに飛んでいるようにも見えます。
母も「グーちゃんは悔いなくスーと旅立った気がします。お姉ちゃんに抱かれて安心して眠るように逝けて喜んでいるよ。良かったね」と声をかけてくれました。痛みや恐れから解放されてスッキリとした顔を見てると涙は止まらないものの「グー、これでよかったね」と思えてきました。
グーは怖がりだけど、しっかり者のおねえちゃん、菊ちゃんと、大好きなお兄ちゃん、慎吾と一緒だから安心です。
先住犬の菊や梅(生後5ヶ月で死去)、そしてグーと暮らす楽しさと幸せを伝えたくて、ワンコのお仕事を始め、雑誌での執筆、川原亜矢子さん、川島なお美さんの書籍作り他、沢山の仕事とご縁に恵まれました。まさにすべて彼らが運んできてくれた幸福でした。写真家としての活動もこの機会に得ました。
夕方の埋葬の際、いつも戻りたいと思うベトナム、ランコーとフィリピン、パングラオ島のビーチの砂を一緒に持たせました。私が行く度に、それを頼りについてきてくれるはずです。
まだこの部屋にはグーの匂いも、気配も残っているのに姿がだけが見えず、絶望するばかりです。また、これまで当たり前だったペットのいる生活からいない暮らしになれて行かねばなりません。ですが身を持って教えてくれた「最後まで諦めない」という強さは生涯の宝です。
闘病中、伝えきれる限りの感謝を口にし幾千回も抱きしめてきました。でも結局、「ありがとう、愛してる」に勝る言葉は見つかりません。
ありがとう、ありがとう。
愛してる、愛してる。
グー、またね、いってらっしゃい。
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